SAPHO症候群日記と私ごと。

SAPHO症候群と診断された私の日常や感情や私ごと。

私ごと。兄の自死

兄の自死

 

2023年4月25日。兄が死んだ。

54歳。首吊りだった。

 

 

4月25日仕事が終わり、買い物をして用事を済ませ

さぁ帰宅しようかと車を出そうとした瞬間電話が鳴った。

母からだった。

 

私「もー、なぁん?今から帰るけど。」

母「仕事終わったんやったら早く帰ってきて!

  姉ちゃんもたちも来とるけん!」

 

少し怒っているような悲しいような投げやりな言い方。

 

私「んー。はいはい。」

 

急いで帰宅する。

 

 

うちの狭いダイニングテーブルにぎゅうぎゅうに母、姉、姉旦那が座っていた。

何か変な空気。

 

私「どしたん?」

姉「兄ちゃんが死んだんよ」

 

え?

 

状況がのみ込めない。

 

 

私は3人兄弟

種違いの兄と姉がいる。

つまり3人とも父親が違う。

 

兄とはあることがきっかけで絶縁して8年

一切会ってないし、連絡先もお互い知らない状態。

 

兄は個人事業主で建設業をやっていた。

いわゆる一人親方

私も仕事を手伝ったことがあるが人当たりはよく、

業界の中では若手で評価も高かったよう。

仕事が丁寧でよく褒められていた。

仕事が好きで根っからの職人気質。

仕事してるか、飲みに出てるかのどっちかみたいな人。

 

 

 

ベトナム人の女と地元のスナックで知り合って結婚。

すごい歳の差。

絶対に永住権欲しいだけで騙されてると思ってたから

お祝いの気持ちもなかったし、とにかく関わりたくなかった。

 

 

兄は再婚なので子供が前妻との間に女の子2人。

ベトナム嫁との間に男の子2人。

 

2年前くらいにベトナム嫁が新しい男と駆け落ちみたいな感じで、

子供を兄のところに置いて出ていって連絡が取れない日々があった。

母に兄から相談の連絡もあったみたい。

母がベトナム嫁に電話して説得したみたいだけど、それが効果あったのか

わからんが、戻ってきたらしい。

 

これは兄の死後嫁から聞いた話。

嫁が新しい男作って出て行ったことが原因か兄が鬱っぽくなっていった。

死にたいと言うようになっていったらしい。

ちなみに糖尿病と心臓疾患もあり近々入院する予定だった。

母は兄と連絡をとっていたから情報は少し聞いていた。

 

実は自殺する数ヶ月前、何やら薬をODし病院に運ばれた時があった。

その時はベトナム嫁、ベトナムに帰省中で母に病院から連絡がきた。

母、姉、私で病院へ向かい説明を受ける。

命に別状はなく2週間くらいで退院したそう。

 

思えば、この時死にたかったんだろう。

 

 

 

悔しかったし、何も知らずに何も出来なかった苦しさが半端なかった。

 

兄とはほとんど一緒に暮らしたこともないし、

性格も合わない。攻撃的で、気が荒い人。

あんなに強かった人が?自殺しちゃうの?

頭が混乱した。

 

 

亡くなっているのが発見された日4月25日警察から母に連絡があったようで、

大混乱!話を理解できず途中で電話を切ってしまったらしい。

そりゃ・・・ね。

 

日本語が辿々しく、泣いてばかりのベトナム嫁では対処できず、

再度、警察から連絡が来る。

 

私が対応した。

遺体の状況、葬儀場をすぐに手配して欲しい、死因の検査を解剖医にしてもらうのでその用紙を受け取りに行って下さい。いろいろ指示をいただき動くことになる。

 

姉夫婦は自営で多忙。途中で抜けたりしないといけないので、

喪主は私がすることになる。

 

母は憔悴しきってボロボロ。

心配で仕方なかった。

 

でも私は喪主をやらないといけない。

悲しむ暇がなかった。

自分がしっかりしなきゃ。ちゃんとしなきゃ。

自分の会社に連絡しすぐに休みを取る。

 

とにかく必死だった。

検死から戻ってきた兄はグレーの納体袋に入っていた。

その時着用していた服や下着も綺麗に畳まれ戻ってきた。

 

警察の方と話した際、

股間のすぐ下の太もも付け根あたりに遺書を誰にも見つからないように

ガムテープで巻きつけていたとのこと。

 

遺書には見覚えのある兄の字。

胸が締め付けられて涙が止まらなかった。

 

母には自死とは伝えているが首吊りとは言えない。

きっと一生言えない。

 

また、薬飲んじゃったんだって・・・。

としか言えなかった。

 

私にとってはあまり一緒に時を過ごしたことのない、

思い出も少ない、気の合わない兄。

 

ただ、母にとってはお腹を痛めて産んだ息子。

 

母はずっと泣いていた。

ずっと。

 

納棺師さんが綺麗にしてくれた兄の顔。

母は見つめて「兄ちゃん、お疲れ様」と声をかけていた。

 

葬儀をするにあたって、

兄の人生を考えた。

仕事に生きた人きっとみんなに「さよなら」言いたいだろう。

 

兄の携帯をあさり数人の電話番号を見つけ連絡をとった。

本当に数人。

 

その人たちが連絡の輪を広げてくれたようで

葬儀にはたくさんの花と人が来てくれた。

 

数個しか用意してなかった香典返しを急いで追加してもらい

対応した。

 

兄の人生が少し見えた気がした。

 

 

 

 

 

私からも兄に言いたい。

 

兄ちゃん、お疲れ様。